英語ができれば成功できるのか?

『英語教育幻想』を読み進め、新たに考えた内容をまとめておく。

語学教育業界の宣伝文句で「語学をマスターして年収を上げる」等が使われることがある。語学ができれば仕事上の選択肢が広がるのは事実だろうし一般的な感覚から言っても違和感がないものと思う。「これからはグローバルの時代なのだから英語が重要だ」という認識を持っている人も多いのではないかと思う。実際には世界的な金融危機により、国境を越えた取引は減少し、資本の移動も縮小する傾向にあるので今後もさらにグローバル化が進展していくかどうかは疑問の余地があるのだが…。 また世界対戦以前も今以上にグローバルな取引が拡大していたが、大戦後はグローバルな取引は抑制されていたことも付け加えておく。要するに、グローバル化は自然の摂理のように時間の経過とともに拡大していくものではなく、人類はグローバルな経済活動の活発化と沈静化を繰り返して来たという流れは理解しておく必要があると思う。

『英語教育幻想』で触れられている、英語力と年収の関係について以下に自分なりにまとめる

・確かに年収の高い人は英語を身につけている割合が高くなる。だが、これは年収が高い職を得られる人は元々の学歴が高かったり、経済的に恵まれた家に育ったりして英語教育を受ける機会を多く得ていたからという推論も成り立つ。そこで、学歴等の要因を調整して統計を取り直して見ると、英語ができることと年収の高さには対して大きな相関はなかった。 また性別別に詳しく分析すると、女性においてはある程度英語力と年収に相関関係が見られたが、英語力が一定以上を超えると逆に年収が低くなるとの結果が得られた。

・日本人に対して行った無作為の調査では、日常生活で英語を使う機会がある人は1割程度だった。これには会話として英語を使うだけではなくて、海外の取引先から送られた文書を読んだり、逆に英語の文書を作成して海外に送信することも含まれる。

以上を踏まえてさらに考えていくと、英語に限らず語学を習得する意義はやはり感じられるものの、英語ができることで得られるメリットは一般的に想定するよりは限定的なのではないかという結論にたどり着く。

今、入試改革ではこれまで以上に話す、書く技能が求められるような制度改変が図られているが、果たしてそのような改革が本当に役にたつのだろうか。

これまでの読解を中心とした義務教育の内容も特に問題はなかったと筆者は思う。 まず英語の構文やルールを覚え、それを基礎に英語を学習していくことは理にかなった学習方法であると指摘する言語学者も少なくない。 学生達が社会に出てからも、ある程度の構文理解があれば仕事上で英語力が求められても対処ができるということも少なくないだろう。 コミュニケーションは話すことによってのみ成り立つわけではなく、知っている単語を書いてジェスチャーでやり取りするだけでもコミュニケーションだ。限定的に英語が使われる東南アジアに派遣される、企業の日本人駐在員らも相手や自分の英語力が不足している場合はそうした手段を駆使してビジネスを成立させていることもあると『英語教育幻想』では指摘されている。

そもそも英語は万能というわけではない。中国に支社を持つ日本企業は当然日本人社員を現地に送り出すわけだが、都市部でビジネスを展開する場合であれば高学歴中国人との英語でのやり取りは成立する。だが中国の地方部に建設した工場や営業所でコミュニケーションを成立させようとするとやはり現地語である中国語の勉強が必要となってくるようだ。

東南アジアの実情だと、英語圏の国に植民地支配されていた国では英語が通用しやすいが、そうでない国では現地語が求められる機会が決して少なくない。英語は便利だが英語だけでなんとかやっていけるというわけではない。

また、最近の記事では日本人の英語教育レベルが低く惨憺たる状況だと評したものがあったが、日本人の英語力はアジア圏で中位レベルで特に問題があるわけではない。英語に熟達した人材も確かに必要だが、国を挙げて英語教育に注力していくメリットが私には今のところ見いだせない。少なくとも、英語に過剰な期待は抱かないことだ。